荷風はどうして時代が読めたのか。
荷風を読んでいて感心するのは、文学的才能もさることながら、荷風は実に時代が読めた人だったと言うことです。明治、大正、昭和のそれぞれの時代で、実に洞察力のある情勢判断と予測をしており、今から見るとそのほとんどが正しかったことが分かります。政治経済の勉強なぞしたことがなく、新聞すら満足に読まなかった荷風がどうしてこのような的確な情勢判断をすることが出来たのか、今回はこれを考えてみたいと思います。
もちろん荷風は西洋かぶれで日本の軍人が嫌いでしたから、悪口ばっかり言って、それが結果的に的中したとも言えないことはないでしょうが、それだけではない。例えば、昭和6年11月10日の『日乗』には「つらつら思うに、今日わが国政党政治の腐敗を一掃し、社会の気運を新たにするものは、けだし武断政治を措きて他道なし」と政党政治の問題を正確に捉えていますし(軍人の方がまだましといっているのは「こんなのだったら猫にやらせた方がまし」と言うぐらいの誇張的表現でしょう)、昭和11年2月14日には「日本現代の禍根は政党政治の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり」と、軍人だけの問題ではなく日本人全体の問題として捉えているのは非常に的確と言わねばなりません。海外情勢にしても、西欧諸国のことを手放しに礼讃したのでもなく、昭和7年10月3日には、「英国は世界到るところに領地を有す。しかるにわが国が満州占領の野心あることを喜ばずは奇怪の至りと言うべきなり」と英国の批判をしたかと思うと「然ると雖も日本人の為すところも亦正しからず」と続けて、当時の世界情勢を実に的確に要約しているのです。経済問題についても昭和18年12月31日に「戦争終局を告ぐるに至る時は、政治は今より猶甚だしく横暴残忍となるべし。必ず、債券を焼き私有財産の取り上げをなさでは止まざるべし」と、戦後の預金封鎖、財産税、超インフレによる資産没収を正確に予測しています。荷風がやった土地株式の売買なども、今から見ても全て絶妙なタイミングでやっており、散人などは足下にも及びません。
何故こんなに先が見通せたのか、理由をいろいろ考えていたのですが、結局、荷風が時代を読めたのはいわゆる「傍目(おかめ)八目」という奴ではないかと思い始めました。「傍目八目」とは将棋を横で見ている見物人は頭に血が上っている当人達より冷静なので八目先が読めるということわざですが、荷風は「当事者」でなかったからこそ情勢が読めたと言うことだと思います。荷風が当時の日本社会につくづく厭気を覚え「江戸戯作者の程度まで身を引き下げよう」と決心したというくだりは「花火」に書いてありますが、この時点(明治44年)で荷風は実社会と距離を置くようになったと言えます。しかし世捨て人のように完全に現世から身を引いたわけではなく、現に東京で世俗的な生活を続ける。この社会との「適当な距離感」こそが荷風をしてたぐいまれなる時代の予言者としたといえるのです。
これは荷風のコスモポリタン的な性格と密接に関係しているようにも思います。本当に不思議なのですが、明治に西欧に渡った森鴎外、夏目漱石、永井荷風を較べてみますと荷風のコスモポリタン的な性格が鮮明になってきます。荷風は西欧に於いて、日本留学生を例外なしに悩ませた「日本人であるということのコンプレックス」を全く感じていなかったようなのです。これは実に不思議です。豪快な森鴎外ですら、ドイツで「鼻くそをほじるのは日本人だけだ」と言われて、ドイツ文献を一生懸命に調べ遂にドイツ人も鼻くそをほじるという記述を見つけて鬼の首を取ったように喜ぶということをしました。これはやはりコンプレックスです。漱石はロンドンの町で自分の姿を鏡に見て言うに言われない劣等感にさいなまれノイローゼになったことは有名な話です。二人とも日本人であると言うことをとても意識して生活をしていた。自分と日本を同一に考えている。当事者の考え方です。ところが荷風についてはそういう話が一切なかった。日本人駐在員の悪口は言うのですが、自分と明らかに距離を置いている。
荷風にはコンプレックスというものがもともと薄かったことがこういう事に繋がったのだろうと思います。ことに西欧コンプレックスは、日本人の場合、過激なナショナリズムに繋がりやすいだけに、荷風がそれを持っていなかったのはとても幸せだったと思います。コンプレックスを持たないことが、荷風をナショナリズムから遠ざけ、コスモポリタンとし、距離を置いた冷静な情勢判断を可能にさせたと言えるでしょう。
このコスモポリタン的な性格は、荷風の場合、小さな弱い存在に対する愛情にも繋がっていると思います。フランスからの帰路、イスタンブールでトルコの旗を見て、同情と感動を覚えるくだりがありますが、あれは弱者への愛情でしょう。捕らえられた台湾土人に対する同情や、韓国、中国に対する惜しみない愛情もそうです。荷風にとっては国籍は関係なかった。『ぼく東綺譚』などの一連の小説でひかげの女たちへの愛おしみも、自分と同じ集団に属していない人たちへの愛情であり、同じコスモポリタン的なものが感じられます。ナショナリスティックな民族主義者達はどうしても自分と同じでないものを排除し憎むという傾向があります。集団に属する組織人もそうです。それらの邪悪な感情は、もとはといえばコンプレックスから來ているように思えてなりません。荷風は、現代日本人の生き方考え方においても、教えてくれるところが多い作家だと感じています。